【深発見8】激動の韓国史を体現する島・江華島=カンファド

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韓国の空の玄関口・仁川(インチョン)国際空港のある永宗島(ヨンジョンド)の隣に、江華島(カンファド)がある。

江華島は、島といっても今日ではソウルの西の郊外・金浦(キムポ)市と橋でつながっている。韓国は古代から中国を中心とする外部勢力の脅威にさらされ、激動の歴史を歩んできたが、この島ほど「激動」という言葉が相応しい所はそうない。

高麗王朝の王都・開城(ケソン)の南、朝鮮王朝の王都・ソウルの西にあり、漢江(ハンガン)、臨津江(イムジンガン)の河口を塞ぐように存在する地理的条件ゆえに、外国からの侵略を受けるたびに、この島は戦略的重要拠点になり、しばしば戦乱に遭遇した。

また王都に近い離島ゆえに、遠流にしのびない王族が流された。朝鮮王朝を代表する暴君である燕山君(ヨンサングン)が流され、死亡したのも、この島だった。

【関連】朝鮮王朝で「最悪の暴君」だった燕山君(ヨンサングン)、何をしたのか

それゆえ江華島は史跡のみならず、島全体が歴史の舞台だと言って過言でない。

ソウルから江華島へは、学生街・新村(シンチョン)からバスで1時間半ほどだ。私は1992年と2009年の2回、江華島に行ったことがある。

最初に江華島に行った時は、島のバスターミナルは、かなり田舎の停留所といった感じだったが、2回目の時は、ショッピングセンターの入った、立派なターミナルになっていた。

バスターミナルから最も近い史跡は、江華山城の南門である。土台をしっかり石積みで固めた門の正面の額には、「江都南門」と書かれている。

1232年、蒙古の本格的な侵攻が始まった。当時高麗王朝の実権を握っていた武人たちは、王都を江華島に移して徹底抗戦をした。

江華山城は、王宮を囲む城壁だった。

しかし1258年、長引く戦闘に疲れた文人たちはクーデターを起こして実権を握った。武人たちは南方に拠点を移して抗戦したものの、高麗王朝は事実上降伏し、1270年王都を開城に戻した。その際、蒙古の命令で江華山城は取り壊された。

江華山城の南門(写真=大島 裕史)

朝鮮王朝になり城壁は再建されたが、1637年、今度は清によって破壊された。そして1677年に補修工事が行われている。

造っては壊されるの繰り返しこそ、江華島の激動の歴史であり、韓国の歴史の痛みである。

文・写真=大島 裕史

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