仁川(インチョン)の自由公園周辺の史跡をぐるりと見て回ると、再び仁川駅に着く。
仁川駅まで来たら、月尾(ウォルミ)島まで足を伸ばしたい。埋立てにより陸続きになっている月尾島へは、仁川駅前からバスが頻繁に出ている。
月尾島は、横浜の山下公園のような、海に面した行楽地で、週末になるとカップルや家族連れなどで賑わう。対岸には永宗島があり、月尾島の船着き場からは、周辺の島々を巡る船が出ている。
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月尾島を歩いていると、黒い石に「1950・9・15 仁川上陸作戦 上陸地点」と刻まれた碑が立っている。
今は平和そのもののこの島も、かつては戦場であった。見た目にも分かるほど遠浅の仁川周辺の海は、上陸作戦には向いておらず、リスクのある作戦であった。それだけに、勝利の意味は大きかった。
仁川沖は、朝鮮戦争だけでなく、日清戦争、日露戦争でも戦場となった。首都に近く、それだけ戦略的な意味が大きいからだ。
月尾島の名物と言えば何と言っても「コッケタン」、すなわちカニ鍋だ。海べりを歩いているとアジュンマたちに「いらっしゃい」としきりに客引きされる。
カニ鍋が美味しいことは言うまでもない。しかし、南北の軍事境界線から近い仁川沖では、カニ漁の漁船の領海侵犯を巡り南北で軍事衝突が起き、死傷者を出したこともあった。平和な風景の中にも緊張感があるのは確かだ。
しかし仁川の西に広がる海は、戦争や侵略など、重い過去をもたらした一方で、新たな文化を運んできた。
韓国では国技と言われるほど愛されているサッカーも、仁川の港から朝鮮半島全体に広がった。
その仁川で、2014年にアジア大会が開催された。仁川市の財政難などにより、大会運営には多くの問題があったのは確かだ。
しかし、現場で取材していて感じたことは、韓国の国際化だ。
スタンドには、インドネシア、モンゴル、ベトナム、フィリピンなど、多くの外国人が詰めかけた。彼らの多くは、この地に暮らしている人たちだった。
仁川や隣の安山(アンサン)は、首都圏の工場密集地域として、労働者を中心に、外国人が多く暮らしている。
租界という、不本意な形で国際化を強いられた仁川は今日、経済発展の中で、多文化という、新たな国際化の時代を、自ら迎えようとしている。
文・写真=大島 裕史
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