テレビ東京で平日の朝に放送されている『トンイ』は、8月11日に第16話が放送されたが、ドラマの最後にチャン・ヒビンが側室に昇格する場面があった。
これは非常に重要な出来事である。なぜなら、側室になると立派な品階が授与され、王朝にとって慶事だと見なされたからだ。
それでは、側室になると、どんな品階を授与されるのか。
まず、側室を含めた女官の品階は一品から九品まで用意されたが、それぞれに「正」と「従」の差をつけたので、合計で18段階に分けられた。
なお、「正」と「従」では「正」が上位になる。つまり、従一位より正一位のほうが品階が高かった。
女官の品階には立場による決まりがあって、正一品から従四品までは王の側室に与えられた。それぞれに尊称が付いている。
正一位 嬪(ビン)
従一位 貴人(クィイン)
正二位 昭儀(ソウィ)
従二位 淑儀(スギ)
正三位 昭容(ソヨン)
従三位 淑容(スギョン)
正四位 昭媛(ソウォン)
従四位 淑媛(スグォン)
このように、側室は細かく品階を分けられたが、王に対する貢献度によって品階がまるで違った。
最大の貢献は、なんといっても王子を産むこと。その場合は正一品に昇格することが多かった。それ以外では、王に寵愛される度合いによって品階が上がったり下がったりした。
そして、正五位より下の品階は、側室ではなく王宮で実際に働く女官に与えられた。特に、正五品には尚宮(サングン)という尊称が付いた。
このように、尚宮は働く女官の中では最高峰に位置する尊称だったのだ。
なお、朝鮮王朝の正史である「朝鮮王朝実録」で調べると、チャン・ヒビンが「淑媛」という品階を授与されて側室になったのは、1686年12月だった。
史実では、チャン・ヒビンが側室になったとき、粛宗(スクチョン)の母親の明聖(ミョンソン)大妃はすでに3年前に亡くなっていた。しかし、『トンイ』の中では明聖大妃がチャン・ヒビンの側室昇格に大反対していた。
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このように、『トンイ』と史実では、起こった年の入れ違いがよくあった。そこが、ドラマと歴史が違うところだった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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