ハングルの原型である「訓民正音(フンミンチョンウム)」を制定した功績で知られ、現在は韓国1万ウォン札の肖像画にもなっている朝鮮王朝第4代王・世宗(セジョン)。
韓国では朝鮮王朝屈指の名君として知られ、今でも多くの人々から尊敬を集めている。その名を冠した企業、ホテルなども多く、「世宗大学」、「世宗文化会館」「国立世宗図書館」など、公共機関にも“世宗”の文字が付けられている。それどころか、韓国初の特別自治市の名称も“世宗特別自治市”だ。
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そんな人物だけに『大王世宗』、『根の深い木』などドラマ化されてきた回数も多く、その功績過程や生涯は広く知られているが、世宗の生涯を記録した『朝鮮王朝実録』の中には興味深い“空白”がある。
王位継承者であった兄が廃位となったたことで王世子となり、即位するまでの3ヶ月間の記録がないのだ。
さら言えば、若き頃の世宗は幼き頃から学問が大好きで、どちらかといえば性格も内向的。外出を嫌った気の弱い人物だったという。
そんな史実をヒントに想像力を加えて映像化したのが映画『私は王である!』だ。
空白の3ヶ月間に何があったのか。世宗はもともと王になりたかったのか。王位に就くことを恐れ、宮殿内から逃げ出していたら……。
メガホンを取ったチャン・ギュソン監督は、“空白の3ヶ月”に名君の原点があると考え、リサーチした史実にアメリカの児童文学『王子と少年』の要素も盛り込むことで、今までにない新しい世宗像を作り上げた。
それは、弱気な王子が真の王へと成長していく過程。まさに心温まる歴史ドラマと言えるだろう。
博識だが、側近に身の回りの世話をさせ、ひとりでは何もできない温室育ちの王子だった。
そんな王子が突然、世子(王位継承者)に任命される。重責に耐えかねて宮殿から逃げ出そうした忠寧は、壁を越えるときに若者にぶつかる。貧しい青年ドクチル(チュ・ジフン)だ。
忠寧は気絶したドクチルの服を着て逃走するが、外の世界には宮殿よりもずっと苦しい試練が待ち受けていた。
しかし、圧政によって苦しむ民の暮らしを目の当たりにし、民の為の良き国王になりたいと思うようになる。
一方、忠寧に間違われて宮廷内に入り、忠寧の代役を務めることになったドクチルだが、その素性に気づいた悪徳官吏たちは裏でドクチンを操り、本物の忠寧を殺そうと企てていた。そんな中、いよいよ即位式を迎えることになるが……。
構成=韓ドラ時代劇.com編集部
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