朝鮮王朝後期の名君としてあまりにも有名なイ・サン。この国王を描いたドラマとしては『赤い袖先』と『イ・サン』があまりにも有名だ。
『赤い袖先』ではイ・ジュノがイ・サンを颯爽と演じていて、『イ・サン』ではイ・ソジンが思慮深く扮していた。そして、どちらのドラマでも、世孫(セソン)時代のイ・サンの即位を阻もうとする政敵がとても多く、その苦難を乗り越えてイ・サンは立派に成長していった。
そんな中で、二つのドラマを比較すると、とても興味深いことがある。それは世孫の即位を邪魔する敵の描き方が違っていることだ。
まず、『イ・サン』から見てみよう。このドラマでイ・サンの排除をもくろむのは老論派であった。
この派閥はイ・サンの父親である思悼世子(サドセジャ)を死にいたらしめた連中であり、イ・サンの復讐を恐れて徹底的に彼の暗殺を狙っていく。その黒幕になっていたのが王妃キム氏であった。このように、『イ・サン』では世孫の政敵が非常にはっきりしていた。老論派と王妃キム氏こそが最大のカタキ役であったというわけだ。
一方の『赤い袖先』では政敵の急先鋒になっていたのが提調(チェジョ)尚宮(サングン)であった。
彼女は王宮を裏で仕切る黒幕となり、宮女の身分を安定させるために世孫を排除しなければならないという立場をとっていた。それゆえ、提調尚宮はイ・サンに反感を持つ高官たちと組んで徹底的に陰謀をめぐらせていく。その際には宮女そのものが暗殺者となって戦った。
彼女たちは剣の達人であり直接的にイ・サンの命を狙っていた。本当に恐ろしい宮女であった。
逆に、『イ・サン』で強烈なカタキ役になっていた王妃キム氏は、『赤い袖先』ではむしろ物分かりのいい人物となっていた。決してイ・サンの味方というわけではなかったが、明らかな敵でもなかった。このように王妃キム氏を中立的な人物に描いたのが『赤い袖先』の特徴であった。
いずれにしても、イ・サンに強力な敵がいることは『赤い袖先』と『イ・サン』でまったく共通していた。
文=大地 康
■【歴史コラム】イ・サンが老論派に対抗できる強固な立場になったのはいつ?
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