NHKの総合テレビで日曜の夜に放送される『100日の郎君様』では、物語の序盤にド・ギョンスが堂々たる世子(セジャ)を演じていた。
彼は朝鮮王朝時代の世子にピッタリの雰囲気を持っていて、未来の国王にふさわしいイメージだった。結局は悪徳高官が送った暗殺団に狙われてしまうのだが‥‥。
そもそも、一般的に韓国時代劇を見ていると、世子が武勇に長けている描き方をしている。実際にそうだったのか。
まず、世子の立場から見てみよう。
次の国王になることが宿命づけられた世子は、王朝のナンバー2だ。世子を象徴する七章服(七つの紋様が刺繍されている世子の正服)を着ている。そして、自分の官僚と護衛兵を率いることができる。
世子を補佐する官僚たちは東宮官とも呼ばれ、教育担当の役所が世子侍講院(セジャシガンウォン)だ。ここでの官僚は科挙(超難関の官僚任用試驗)に合格した高官ばかりで、家門もとてもいい。
そして、世子や侍講院の官僚たちは王になる日に備えて、どのように国を治めるかを繰り返し討論する。その内、自然に世子と官僚たちの間には理念の共有と人間的な連帯が形成されていく。
そんな世子にとって一番大事なのは学問だ。
王になる者は常に儒教の理念を理解しなければならないので、世子もその知識をしっかり習得する。よって、世子は朝講、昼講、夕講と、一日に三度の学習に励んだ。ほとんど勉強漬けの毎日だったのだ。
その反対に、武術はまったく重視されていなかった。
したがって、武勇に長けていた世子はほとんどいないと考えたほうがいい。あくまでも世子の日々は学問一辺倒だったのである。
時代劇は華麗な殺陣のシーンをたくさん作りたがるので、武勇が強調されるきらいがある。反対に、書物を読む場面は絵になりづらいのも確かだ。
かくして、時代劇では世子の武勇が派手に描かれていく。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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