さらには、国王になったイ・サンから再び求愛されている。それでも、ソン・ドギムは当初、側室にならなかった(後には側室になったが……)。
史実では、同じ年で慕っていた王妃に子供がいなかったことに配慮して側室になることを拒絶したのだが、『赤い袖先』では王妃を史実のようには描いていなかったので、ソン・ドギムがイ・サンの求愛に応じなかった理由が明確にできなかった。
代わりに、彼女は「自分で判断できる自立した女性」として描かれた。これは現代的な解釈であり、厳格な身分制度に縛られていた朝鮮王朝時代にはありえない選択なのだが、『赤い袖先』ではイ・セヨンが示す「自ら行動する強さと逞しさ」が随所に見られて十分な説得力を持っていた。
実際、「耐えて従う」という宮女の先入観をイ・セヨンは心に秘めた表現力で変えてくれたのだ。
それは、視線に宿る「意志の強さ」であり、口元に潜む「揺るぎない信念」である。そうした表情を多面的に見せられるのが、イ・セヨンが培ってきた演技力であり、脚本を昇華できる女優の心強さだった。
ドラマの中でソン・ドギムは多情な感性を持っていた。イ・サンのわがままな部分に腹を立てる気の強さ、イ・サンの優しさに身をゆだねる情愛、そして、女性としての幸せを願う儚(はかな)さ……それらをあますところなく見せてくれた。
一例を挙げよう。
『赤い袖先』でも屈指の名場面と言われるのが、ソン・ドギムがイ・サンに『詩経』を読んであげるところだ。
イ・ドクファが演じる英祖(ヨンジョ)に叱責されたイ・サンは謹慎処分となるが、ふすま越しにソン・ドギムがイ・サンの愛読書を読んでいく……この一連のシーンでソン・ドギムの情愛が本当に美しく表現されていた。
「もしイ・セヨンがソン・ドギムを演じなければ……」
そうなれば、もちろん他の女優が演じていたわけだが、そうであるならば『赤い袖先』がこれほど慈愛に満ちたドラマになったかどうか。
彼女以外のキャスティングが想像できないほど、イ・セヨンは女優人生のすべてを注いでソン・ドギムを「強く、そして、繊細に」演じていた。
時代劇で描かれるヒロインは、身分制度に苦しめられた朝鮮王朝時代の女性たちの切ない願望を現代に伝えてくれる。それは、「自立して生きる」に他ならない。それを具体的に示してくれたという意味で、イ・セヨンが演じたソン・ドギムの生き方はかぎりなく希望に満ちていた。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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