『100日の郎君様』というドラマは、究極的に言えば「ド・ギョンスの演技を堪能する作品」と言えるだろう。
やはり、主役のド・ギョンスが七変化のように多彩な演技を見せてくれるところが一番の注目ポイントなのだ。
本来、ド・ギョンスはEXOのD.O.として知られている。K-POPのスターなのだ。そんな彼も俳優活動をするときはド・ギョンスと呼ばれている。ただし、俳優として集中していても、結局はアイドル系のスターだと見なされてしまう。
それは仕方ないところなのだが、俳優としての演技をよく見れば、彼が単なるアイドルでないことは一目瞭然だ。俳優として本格的な演技力を持っている。
【写真】闘病中スター俳優が『100日の郎君様』ド・ギョンスを激励した感動秘話
その才能は、『100日の郎君様』でも十分に発揮されている。
実際、『100日の郎君様』の演技を分析してみると、3つの表現が目立っている。
1つ目は不機嫌な世子(セジャ)の姿だ。序盤でド・ギョンスが演じたイ・ユルは、幼いころの悲劇がトラウマになっており、成人した後もずっと不機嫌だった。これには側近たちもほとほと困ってしまった。
こうした不機嫌な表情というのは、実はとても演じるのが難しい。計算されていないと投げやりな印象を残してしまうからだ。
しかし、ド・ギョンスが見せた不機嫌さは根拠が明白だった。悪徳高官に対する不満を示し、その娘である世子嬪(セジャビン)に冷たく対応することで、自分の立ち位置を明確にしていたのだ。そのことが、ド・ギョンスの演技から感じ取れた。
2つ目は、ウォンドゥクになった後のとぼけた演技が面白かった。
もともとは王族なので、村人になっても働くことを知らない。おまけに高利貸しに騙されてお金もないのに次々と高価なものを買ってしまった。
このときは妻であったホンシムが激怒するのだが、ウォンドゥクは「柳に風」だった。そのときのウォンドゥクの表情には、とぼけた味があって本当に良かった。世子のときの不機嫌な表情とは大きなギャップがあり、その変化がドラマに生きていた。
3つ目は、ホンシムに対する愛情表現だ。
ウォンドゥクは結局、世子のイ・ユルに戻って王宮に帰っていく。ホンシムは、身分が違いすぎるからという理由で諦めようとする。
しかし、イ・ユルはわざわざホンシムの前に現れて「お前が必要なんだ」と説得する。このあたりはド・ギョンスの見せ場だった。イ・ユルはホンシムへの愛を世子になっても守り切ろうとする。その気持ちをド・ギョンスは、強い愛情で演じきる。
『100日の郎君様』の主役としてすばらしい存在感を見せたド・ギョンスは、シーンに応じた表情で、見る人たちを大いに楽しませてくれるのだ。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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