日本でも大ヒットしているドラマ『愛の不時着』。主演のヒョンビンの人気が高まるばかりだが、そのヒョンビンがかつて韓国時代劇に挑戦したことがあることをご存じだろうか。
それもドラマではなく、映画で時代劇初挑戦だった。
タイトルは邦題で『王の涙-イ・サンの決断-』。日本では2014年12月に公開されている。
副題にあるイ・サンとは、朝鮮王朝・第22代王・正祖(チョンジョ)の幼名。日本では“韓国時代劇ドラマの巨匠”とされるイ・ビョンフン監督が手掛けたドラマ『イ・サン』がNHKでも放映され、多くの日本人たちの心を掴んだ。
正祖は実際にも“名君”だったと呼び声高い。
ドラマでも描かれている通り、正祖は中央政府の地方統制力を高め、経済改革にも着手。1776年には王立図書館の性格をなした奎章閣(キュジャンガク)を設置して文芸・学問の振興に寄与し、1791年には辛亥通共(シネトンゴン)を導入して商業活動の自由化も推し進めた。
正祖が執権した時期は、「朝鮮王朝ルネッサンス時代」ともいわれている。
しかし、その一方で正祖は常に暗殺の脅威にさらされていた。
幼くして父を殺され、25歳で祖父であり先代王の英祖(ヨンジョ)から王位を継承した正祖だが、当時は高官たちの派閥争いが激しく、宮廷内には策謀が渦巻いていた。
そして1777年7月28日、正祖はついに命が狙われる。俗に言われる「丁酉逆変(チョンユヨクピョン)」が起きたのだ。
「丁酉逆変」は歴史書『朝鮮王朝実録』の『正祖実録』にも記載されており、その内容をようやくすると次の通りだ。
「王宮に賊が侵入した。王(正祖)は夜遅くまで読書することが習慣で、この日も尊賢閣(ソンヒョンガク)で本を読んでいた。内侍(ネシ)が1人いたが、護衛兵は王の側を離れていた。
すると回廊から誰かの足音が聞こえた。その音に気づいた王は、賊の足音だと悟り、すぐに兵士たちを呼んで調査を命じた。
瓦などには砂や土が残っていた。賊のものだ。王から呼ばれ駆けつけた洪国栄は言った。“政変を起こそうとする者たちの仕業に違いません。鳥や獣でないのに、どうして王宮まで侵入できましょう。徹底的に調べます”と」
つまり、王の寝殿近くまで刺客が押し入ったのだ。その衝撃は想像を絶するものだったことだろう。
だが、この「丁酉逆変」は今だに謎が多い。その歴史ミステリーに果敢に挑んだ作品が、映画『王の涙』でもある。
膨大な資料を元に想像力を膨らませ、「丁酉逆変」の背景、すなわち当時の正祖が置かれていた政治的状況を見事に描いただけではなく、正祖がなぜ朝鮮王朝屈指の名君と呼ばれるほどの偉大な王になっていくか。その原点がドラマチックに描かれている。
『チェオクの剣』といったフュージョン時代劇ドラマでブレイクし、『王の涙』が待望の映画デビューとなったイ・ジェギュ監督は言っている。
「暗殺の脅威が耐えることない厳しい環境にありながら、21年間にも渡って王位を守ったイ・サンを、困難の中でも肯定的な未来を夢見る人間として描きたいと思いました。イ・サンを通じて私たちが望むリーダー像はどのようなもので、私たちが望む人生が、どんなものかを知ることができればと考えました」
そして、映画でそのイ・サンを演じたのがヒョンビンなのだ。当時のヒョンビンは2年の兵役を終え、除隊後の復帰第一作として選んだのが『王の涙』だった。
この作品でヒョンビンは文武両道に優れ、思慮深さと激しさを備えた若き王・正祖を演じている。
なぜ、正祖は命を狙われていたのか。それは映画『王の涙』でも描かれているが、映画では正祖の政治的背景もしっかり押さえられていて面白い。
何よりも必見なのは、正祖がその政敵たちとの争いを乗り越え、偉大な王へとなっていく原点が描かれていることだろう。それをヒョンビンが凛々しく演じるのだから、なおカッコいい。
『愛の不時着』でヒョンビン・ロスになっている方々には、ぜひともオススメしたい韓国時代劇映画だ。
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