【歴史コラム】どんなに才能があってもなぜ庶子は官職に就けなかったのか

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テレビ東京の韓流プレミアで放送されている『イ・サン』では、7月27日の第52話においてイ・サンの改革が大きな波紋を呼んだ。それは、庶子の登用である。それ以前の朝鮮王朝では庶子はまともな官職に就けなかった。しかし、イ・サンは大胆な政策を打ち出し、庶子出身の有能な人物をどんどん重要な役職に就けた。これに真っ向から反対したのが老論派の官僚たちだった。

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彼らにしたら、重要な役職を庶子に奪われることになる。これは絶対に容認できないことであり、老論派は徹底的にイ・サンのやり方に反旗をひるがえした。

それにしても、なぜそれまで庶子は官職に就けなかったのか。当時の就職事情を解説しよう。

ここで言う庶子というのは両班(ヤンバン)が外で産んだ息子を指している。もっとわかりやすく言えば、地位のある両班の妾の子供なのである。朝鮮王朝は一夫一婦制を採用していたが、裕福な男性が妾を持つことは当たり前だった。もし妻が男子を産まなかった場合には、庶子が家を継ぐということもできるのだ。実際に国王ですら、側室が産んだ子供が即位している。

とはいえ、それは妻が男子を産まなかった場合の話である。もしも妻が男子をもうけていれば、庶子は邪魔者になってしまう。

画像=MBC

高官たちとの対立

実際、妾の子供は身分制度が厳しかった時代には徹底的に差別されたし、官職に就くこともできなかった。それゆえ、どんなに才能があっても、貧しい暮らしを強いられることが多かった。しかし、イ・サンは才能がありながら庶子であることで能力を発揮できないのは王朝にとって損失だと考えていた。そこで、彼は積極的に庶子にも官職を与えて能力を発揮してもらおうとしたのである。

イ・サンの考え方は現代からすれば理にかなっているのだが、古いしきたりが残る朝鮮王朝ではまだまだ容認されなかった。特に官職の数は決まっており、そこに庶子が入ってくると既存の人たちがはじき出されることになる。必然的に、既存の勢力の抵抗が激しかった。そういう理由で、イ・サンと旧来の高官たちとの対立が深刻になっていったのである。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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