力強い平和のメッセージが込められたエンタメこそ、今の時代に必要ではないかと思う今日この頃だ。そこで紹介したいのが、2020年に日本で公開された映画『スウィング・キッズ』だ。
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映画『サニー 永遠の仲間たち』のカン・ヒョンチョル監督がメガホンを取った今作は、冷戦時代に韓国と北朝鮮が対決した朝鮮戦争(1950~1953)下の捕虜収容所が舞台。
南側の収容所を管轄するアメリカ軍は、イメージ向上のため、戦争捕虜によるタップダンスプロジェクトを計画する。そこには、かつてブロードウェイに立った黒人の下士官ジャクソン(演者ジャレッド・グライムス)を筆頭に、北朝鮮軍出身の捕虜ロ・ギス(演者EXOド・ギョンス)、4カ国語が堪能な女性ヤン・パンネ(演者パク・ヘス)などが集結する。
【以下、ネタバレを含む表現があります。ご注意ください】
今作を至高のエンタメにしているのは、なんといってもダンスパフォーマンスだ。遊び心溢れる編集とカメラワークで見せるナンバーの数々は、見る人々を魅了する。
なかでも特徴的なのが、選曲だ。1950年代の時代設定からあえて離れた“現代の楽曲”を使うことで、シーンの存在感が際立っている。
例えばチョン・スラのヒット曲『歓喜』(1988)を使用した場面だ。
同曲は『江南(カンナム)スタイル』のPSYがリメイクしたことでも知られるが、劇中ではこの曲をバックに捕虜などによるタップダンスチームとアメリカ軍兵によるダンスバトルが繰り広げられる。ここでは、「苦しみをわかち合えば、幸せになれる」という歌詞からも示唆されるように、思想による分断を乗り越え、ダンスで結んだ友情を通じて1つになる可能性が開ける。
デヴィッド・ボウイの『モダン・ラヴ』(1983)を使ったパフォーマンスも印象的だ。朝鮮半島の南側にいる人々は北への反発が強まっており、北側出身のギスは扉の外側で“アメリカの踊り”であるタップダンスを自由に踊れずにいる抑圧的な雰囲気のなか、同場面が登場する。
異なる場所にいながら、重なる動きで踊るパンネとギス。2人は、タップシューズを履いているわずかな時間、南北の政治状況が作り出す“障壁”を突き破れそうになれるぐらい勇気を持つことができる。現代的な愛を取り巻く制度などを信じないというボウイの声は、今作では戦争に反旗を翻す強力なメッセージの代わりになっているとも解釈できるシーンだった。
これらのナンバーが強い印象を残す今作だが、戦時中の朝鮮半島を舞台にしていることを忘れていない。むしろ観客に戦争の残酷さを突き付ける。
捕虜たちに喜びをもたらしたタップダンスも、そもそもアメリカのプロパガンダとして利用するために導入されたものであった。
捕虜収容所の所長は、“自由の女神”像を背景に、ヤンキーズの帽子を被った、アメリカのイメージを象徴する人物だ。そんな彼がタップダンスプロジェクトを企画するのは、「自由世界のダンスを踊る共産主義の捕虜」という見出しを世に出すためだった。捕虜たちは悲しいことに操り人形にされているだけなのである。
そして、戦争の残酷さは北朝鮮の兵士たちの姿にも表れている。戦線に立って腕や脚を失ったギスの旧友グァングクがその代表例だ。アメリカへの反発心がそれまで以上に強くなり、アメリカ軍兵だけでなく、自由主義に傾倒する人々まで殺す彼は、恐ろしい人物として描写される。しかし、そのような行動に出たのは、戦場での壮絶な経験が影響している。
壮絶な経験を強いられたのは、ほかの捕虜たちのセリフにある通り、他国が作り出した思想である。他国の思想による分断が、南北の人々の殺し合いにまで発展することの無念さが色濃く示される。
物語の終盤の衝撃も忘れられない。ダンサーたちの希望の象徴だったはずのタップシューズが、無残に並べられた遺体の足にはめられたものに変化したとき。踊れなくなるように下半身だけを狙われて何発も撃たれるギス。戦争によって、人々の命や可能性はいとも簡単に消えてしまうのだ。
平和を守ることの重要性を幾度となく実感させられる『スウィング・キッズ』。現在も無実な人々が亡くなっている世界で、戦争は決して昔のこととして忘れ去ることはできまい。改めて平和について考えるべき今だからこそこの映画を観ることに意味がある。
文=水落さくら
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