【スター極貧物語】クォン・サンウの母親は指紋がなくなるほど働いた

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クォン・サンウがもし俳優になっていなければ……。彼の家族には最初に辛い別れがあった。実は、クォン・サンウが生まれたとき、父親は国語の教師だった。しかし、生後6ヶ月のときに父親が病気で他界してしまった。

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それゆえ、母のもとで兄と一緒に育った。生活は大変だった。母親は家政婦などの仕事をしながら指紋がなくなるほど働いたという。そういう苦労を見ながらクォン・サンウは成長した。

子供のときから漫画を描く才能があった。将来の夢は画家になることだった。運動神経も良かったので、高校時代にはバスケット部のキャプテンを任された。同時に映画も大好き。映画『ニューシネマ・パラダイス』を15回も見るほど夢中になり、いつしか俳優にも興味を示すようになった。

その後、漢南大学教育学部美術科に入学した。母親はクォン・サンウに絶対に教師になってほしいと願った。兄も先に英語教師になっていた。しかし、在学中に早めに休学して兵役についた彼は、軍隊で親しくなった友人から「除隊したらモデル活動を一緒にしないか」と誘われた。

芸能界に興味があったクォン・サンウは、兵役を終えるとモデル専門学校に通うようになった。そして、22歳のときにファッションモデルとしてデビューした。さらに彼は俳優になりたいという希望を持ち、ドラマ『おいしいプロポーズ』に端役で出演した。

クォン・サンウ
長くトップレベルの活躍を続けているクォン・サンウ(写真提供=OSEN)

『天国の階段』で人気を不動にした俳優

徐々に名前が知られるようになり、映画『火山高』に出演して武術の実力が並外れたリーダー役を熱演した。一気に注目されて、2003年には映画『同い年の家庭教師』の好演で人気を確かなものにした。特に、映画で披露されたクォン・サンウの肉体美が評判になった。

しかし、クォン・サンウは、自分の演技力より肉体にばかり集中する視線が不満だった。彼は演技力の向上こそ自分の課題だと見極めて、年上のスター俳優を大いに見習った。そして、大ヒットした『天国の階段』で人気を不動にして今に至っている。

文=大地 康

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