『トンイ』でパク・ハソンは聖なる仁顕王后のイメージをどう作り上げたのか

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パク・ハソンは、『平日午後3 時の恋人』といったドラマで、輝かしい才能を振りまいている。だが、彼女が一躍、人々の目に留まるきっかけとなった作品は、なんといっても『トンイ』である。この時、彼女が演じた役柄は、聖なる光に満ちていた仁顕(イニョン)王后だった。それでは、歴史に刻まれた仁顕王后の印象はどのようなものだったのか。

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仁顕王后は1667年に生まれ、粛宗の二番目の王妃となったが、1689年には突如として廃妃にされてしまった。側室の張禧嬪(チャン・ヒビン)を王妃にしようという粛宗の欲望の前に、仁顕王后が身を引かざるをえなかったのだ。

それなのに、張禧嬪の謀略はやがて粛宗に嫌悪感を持たせ、1694年に彼女は側室に降格となった。そして、仁顕王后は再び正室として王妃の座に返り咲いた。廃妃となった後に再度王宮の門を叩くことができたのは、仁顕王后が初めてだった。それはまさに彼女の徳のたまものである。

それでも、張禧嬪の悪行は止まることなく続いた。特に彼女は女官に仁顕王后の寝殿の窓に穴を開けさせ、その様子を他人に言いふらすように命じた。張禧嬪が仁顕王后を侮辱した理由は、彼女自身が再び王妃になりたいという強い願望からだった。既に粛宗の寵愛を失っているにも関わらず、張禧嬪は自身の行為をやめなかった。

結局、張禧嬪の悪評は彼女の執念が深まる度に増し、張禧嬪の存在そのものが日増しに否定されていった。

『トンイ』ではパク・ハソンが仁顕王后を演じた

忘れられないキャラクター

仁顕王后が病に倒れるようになったのは、1700年の4月以降だった。身体に痛みを伴う腫れ物が現れ、仁顕王后は苦しむこととなった。病状は進行し、彼女は長い間にわたって苦しんだ末に、1701年の8月14日に生を終えた。その時、彼女はまだ34歳という若さだった。

多くの女優たちが演じてきた仁顕王后の役を、最も深く、そして鮮烈に描き出したのが『トンイ』で仁顕王后を演じたパク・ハソンだった。彼女は仁顕王后の聖女という印象を鮮烈にドラマの中で見せて、忘れられないキャラクターに昇華させたのである。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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