【歴史のナゾ】『七日の王妃』で燕山君を追い込み狂わせたのは誰なのか

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イ・ドンゴンが『七日の王妃』で燕山君(ヨンサングン)に扮していて、憎たらしい暴君ぶりを見せている。史実によると、彼が即位したのは1494年であり、当初は暴君ではなかった。善政を行なうこともあったのだ。そんな彼が急変したのは、ある事実を詳細に知ってからだ。

【写真】『七日の王妃』でイ・ドンゴンは燕山君の憎悪をどう演じたのか

果たして、燕山君は何を知ったというのだろうか。

それは、実母の尹氏(ユンシ)の死罪に関することだった。

尹氏は王妃であったときに成宗(ソンジョン)の顔を激しく引っかくという不敬の罪を犯した。その他にも、側室を呪い殺そうとした未遂事件も起こしている。

その結果、尹氏は朝鮮王朝で最初の廃妃になり、実家に帰された。その末に、1482年に死罪となってしまった。そのとき、燕山君はまだ6歳であり、母の死の経緯をまったく知らなかった。

さらに、成宗は尹氏のことを今後100年語ってはならないと家臣に厳命した。それによって、燕山君は何も知らないまま成長した。

しかし、燕山君が即位後に、尹氏の死罪について細かく密告した官僚がいた。それが、任士洪(イム・サホン)という男だ。

イ・ドンゴンが演じた燕山君は母の死罪の真相を知ってから残虐になった(Licensed by KBS Media Ltd. © 2017 KBS. All rights reserved
ドラマ『七日の王妃』より。DVD好評リリース中・U-NEXTにて見放題配信中)

別人のように変貌した燕山君

彼は出世欲が強かったが、望みを果たせなかった。そこで、燕山君に取り入るために禁止されていた「尹氏の死罪の経緯」をばらしてしまったのだ。

燕山君のショックはあまりに大きかった。彼は逆上し、母の死罪に賛成した者たちの記録をつぶさに調べ、該当する場合に虐殺に及んだ。

こうして朝鮮王朝は前例がないほど血で濡らされた。一方で任士洪はもくろみどおりに燕山君に気に入られ、大出世を果たしていった。

この悪人は『七日の王妃』にも登場し、カン・シニルが演じて悪事を重ねている。

まさに、史実のとおりの悪役ぶりであった。

結局、燕山君は任士洪にたぶらかされた部分が強かった。母の死の真相を知ってからの燕山君は別人のように変貌し、最悪の暴君への道をひたすら走っていってしまったのである。

それだけに、やがてクーデターを起こされて王宮から追放されるのも必然であった、と言わざるをえない。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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