大ヒット韓国時代劇『オクニョ 運命の女(ひと)』。本作の最大の特徴は、これまでの歴史ドラマではあまり深く描かれることのなかった「獄中(監獄)」にスポットを当てている点である。
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主人公オクニョが生まれ育った場所であり、物語の重要な舞台となる典獄署(チョノクソ)。果たしてそこはどのような場所だったのか。ドラマをより深く楽しむために、実在したその姿を振り返る。
オクニョが人生の多くを過ごした典獄署(チョノクソ)は、罪人の収容や管理といった事務を司る実在の官署であった。
その起源は古く、高麗(コリョ)建国時にまで遡る。
高麗第26代・忠宣(チュンソン)王の時代に一度は廃止されたものの、高麗末期の1362年に復活。その後、朝鮮王朝時代にもその役割は引き継がれ、国の法秩序を支える中心的な存在となった。
朝鮮王朝初期は高麗時代の制度を踏襲していたが、第9代王・成宗(ソンジョン)の時代に大きな転換期を迎える。
国家の基本法典である『経国大典(キョングッデジョン)』が完成すると、典獄署(チョノクソ)の運営もこの法典に従って厳格に行われるようになった。当時の記録によると、ここには重罪人から軽罪を犯した者まで、およそ100人程度が収容されていたという。
管理体制は徹底しており、新たに罪人が収容されるたびに、名前と罪状を『四徒記(サドギ)』と呼ばれる帳簿に記録し、定期的に王へ報告する義務があった。
監獄内部は、男囚と女囚の居住区域が明確に分けられていた。しかし、特筆すべきは収容者の比率である。当時の記録には、意外にも「女囚の比率が多かった」という興味深い記述が残されている。
また、非人道的な場所というイメージが強い監獄だが、ときには柔軟な運用もなされていた。収容人数が飽和状態になった場合や、酷暑、酷寒といった厳しい気候の際には、人道的な配慮から軽罪の囚人を一時的に解放することもあったと伝えられている。
文=韓ドラLIFE編集部
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