ハングルを作って史上最高の名君と称賛された4代王の世宗(セジョン)。その次男が首陽大君(スヤンデグン)だった。
この首陽大君は武術に優れ、戦略家としても巧みだった。しかし、野望のためなら何でも行なうタイプの男だったと言える。
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彼は甥である端宗(タンジョン)から王座を強奪して7代王の世祖(セジョ)となった。しかし、非道な世祖を批判する人が多かった。
その代表格が成三問(ソン・サムムン)を中心とする「死六臣(サユクシン)」の6人だった。彼らは端宗を復位させようと世祖暗殺計画を狙ったが、失敗してしまった。
世祖は、捕えられた成三問たちに「余を王と認めれば助けてやろう」と言ったが、彼らは世祖を罵倒し続けた。結果的に、彼らは処刑された。
世祖に反旗をひるがえしたのは「死六臣」だけでなかった。世祖の弟である錦城大君(クムソンデグン)も端宗の復位計画を実行に移そうとしていたが、結局は死罪に処されてしまった。
世祖は「このまま端宗を生かしておけば、また復位を狙う者が現れる」と思い、1457年に端宗を殺害した。本当に悲劇的なことだった。
世祖は国王としての実績だけを見れば、朝鮮王朝の基本法典である「経国大典」の編纂を始めたという功績があった。しかし、人間的には最悪だった。そんな彼は晩年に原因不明の皮膚病に苦しんだ。その理由だが、「端宗の母に夢の中でツバを吐かれたことが原因だ」と噂された。評判が悪いと、いろいろなことを言われてしまうのだ。
世祖にも不幸が襲い掛かってきた。長男は19歳という若さで世を去り、後を継いで8代王・睿宗(イェジョン)となった二男も19歳で急死した。
親として、こんなに悲しいことがあるだろうか。確かに、世祖は野望をかなえて王になったが、失ったものもあまりに多かった。
それは、因果応報と呼べるものだったかもしれない。世祖の人生は、後世の人たちに様々な教訓を残したのである。
文=大地 康
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